会報
会報第18号―――2002年10月12日発行

ことば「合陰開陽」

薛永斌

交流会

「無極静功に出会って」

井上敬子

「太極拳とイメージ」

二瓶克義


ことば

薛永斌

合陰開陽

 太極拳と気功を行うとき、体の内側と外側の関係について、“合陰開陽”というポイントがあります。
 体の内側とは手と足の内側及びボーデイの正面で、体の“陰”の部分に属し、体の外側は手と足の外側及びボーデイの背面で、体の“陽”の部分に属します。
  “合陰”はその“陰”の部分を柔らかくリラクスさせ、円の形に繋がるように調えます。 “開陽”は体の“陽”の部分を充分に空間へ伸ばします。
 どんな姿勢でも、同時に“合陰開陽”を達成する必要があります。いわゆる陰陽のバランスの調整です。このポイントを達成すれば、自然で綺麗な姿勢になり、体も楽になります。養生十二法、五番目の“陰陽開合法”はその調整の動作です。

交流会

 第19回交流会は2002年5月25日(土)午後、新宿スポーツセンターで開催されました。立教大学教授横山紘一先生が”深層からの健康”を講演されました。また、ご講演後、迫力ある鹿島神流の技もご披露いただきました。

立教大学横山紘一教授の講演

「無極静功に出会って」

井上 敬子さん東京都品川区
井上 敬子


無極静功との出会い

 無極静功に入って2年目に入りました。去年の5月末、以前通っていた武道教室で肋骨を折ってしまい、激しい動きができず大人しい生活を送っていました。そんな時、同僚に太極拳をやりたいのでどこか紹介してほしいと相談され、インターネットで検索し、無極静功に目がとまりました。
  「気功」と「太極拳」。気功...。私が20代の頃からず〜っとやりたいと思いながら、どこでやっているのかわからずできないでいた「気功」が一緒に付いていました。同僚のためが半分、自分の興味が半分で、早速、教室に下見に行くとことにしました。
 7月終わりで、ちょうど站椿功の復習をしている時でした。体験してびっくり。その站椿功の三円式は、武道教室でやっていた立禅そっくり。当時、強くなりたい一心で、先生に言われるまま、一日おきに立禅を30分やっていたのでものすごく身近なものでした。そしてまた驚いたのは、薛先生の指先がピクピク動いていること。これも以前の先生に、上達してくると自然と指が動くようになってくる、と言われていたので、目が点になりました。
 練功が終わった後、薛先生にそのことを話したら、自分では指が動いているのは気づいていない、とおっしゃいました。自然に動いている、気が通っているということだったんだと思います。練功中の先生の穏やかな声もすごく気持ちを落着かせてくれ、ゆったりしたいい気持ちでした。身体の中から何かが動いていくようなものが感じられ、今まで漠然と想像していた気功が、先生の声も含め、本当に身体に何かいいものをもたらしてくれるんだなと実感しました。気功がというよりも、薛先生ご自身に何か特別なものを感じました。私が探し求めていたものはこれだ!という感じでした。
 以前の武道教室で、おもしろいのだけど、自分の求めているものとは何かが違うと思い悩み始めていた時だったので、すごい感激を受けました。それで私は即入会することにしました。
 同僚は遠くて通えないとのことで結局入りませんでしたがこの同僚の「太極拳教室を紹介して下さい。」という言葉がなかったら私は無極静功に出会っていなかったと思うと不思議な気持ちです。

無極静功に臨む姿勢

 私はどちらかというと覚えが早い方ですが、無極静功の場合、なぜか流れを覚えられないでいました。いつも最前列で先生の動きを一つ一つ見ながら練功していました。1〜2ヶ月した時に、振替で火曜の中級クラスに参加したことがあります。10年以上続けている方達がたくさんいらっしゃって、外で教えている方達もたくさんいらっしゃるくらい上手な方達ばかりでした。その方達が腕前だけではなく人間的にもとても魅力的で、私も10年後にはこうなりたいなーって、漠然と将来の自分像を思い描いていました。
 10年というスパンで考えると、目先で無理をするのではなく、自然に任せることにしよう、いつか自然と身につく時がくると考えるようにしました。
 一通りの説明を聞き終えた1年経ってやっと流れが覚えられてきました。でも、2年目に入って同じ説明をまた聞いていると、1年目には気がつかなかった新しい発見が出てきます。自分ではできたと思っていた動作なのに間違っていた所が出て来たりもします。きっと3度目に同じ説明を聞く時にも、また新しい発見があるのだと思います。先生が教室で「徐々に、徐々に」とおっしゃっているけれど、これは一機に覚えようとしても太刀打ちできない奥の深いものなんだと思います。一生つきあうつもりで徐々に徐々に上達していければと思います。

気功、太極拳、推手

 私の大好きな気功のポーズは、三円式です。武道をやっていた頃は、これをやればやるほど体の反応が早くなり、足腰も強くなったので、大好きなポーズです。ながーくやっていると、マラソンのランニングハイのように、気持ちよくなってきます。そして無極静功に入ってからは、長い時間はやらないけれど、やはりこのポーズの時は気の流れ、宇宙を感じてとても気持ちがいいのです。大転環と左右時間差も指先から全身にパワーを感じられ、心身一体となって、武道をやっているようなイメージが感じられるので大好きです。それと好きというのとは違いますが、私は、ずーっと低血圧で悩んでいたので、「托天昇で低血圧が治ったのよ!」と目を輝かせている大先輩の持田さんの言葉に刺激されて、托天昇も気にしてやるようにしています。
 半年経った頃、太極拳の説明が始まりました。それまでは、気功と同じ流れで、気持ちのよさにひたっていました。ところが、実戦ではこうやって使われているんですよ、と実演を混ぜて動作の説明をしてもらうと無駄のないよく考えられた動きだなーと感激してしまいました。先生の実演を見ていると、身体が動きたくなって、その技をマスターして実戦をやりたくなってきてしまいます。とは言っても“戦い”自体には疑問を持っているのでもうやろうとは思わないけれど。その中間にあるのが推手かなと思います。
 相手の力の向きを感じて、その力をうまく逃し、利用し、責めるという理論を実践していくことで、理解が深まり、力強くもなる。教室では推手がないので、まだ合宿の時や樹林練功会の後にやる程度です。あまり練習していないので、理屈はわかっていてもなかなか実践できません。明らかに私よりも華奢であったり、年輩の方にも簡単に押し込まれてしまいます。まだまだ腰をうまく回せないし、太極24式の中で習った八法が使いこなせていないからだと思います。気功で身体の調整をとって、心身ともに健康になり、パワーをつける。太極拳で武術の基本動作を覚え、推手で実践に応用して理解を深め、身体的に健康になる。この3つの関連性がわかってくると、推手ももっと練習したくなってきました。

今後の抱負、希望

 無極静功はとにかく楽しい。理論を知る楽しさ。先生や諸先輩方のためになる話を聞く楽しさ。気を感じる楽しさ。樹林練功会で自然の中でやる楽しさ。他の教室の方達と交流できることの楽しさ。推手の楽しさ。合宿で、普段教室でやらないことまでやる楽しさ。
 無極静功を全て味わうために、理論も実践も深めていきたい。今の初級クラスでの先生の説明を2度、3度と聞き続けてもいきたいし、推手も合宿時だけではなくもっと練習したい。
 それにさらに奥深い無極静功を理解するために、研修会にも参加していきたいと思います。そして大胆ですが、10年後には、私も諸先輩方のように、無極静功を教えていけるようになりたいと思います。
 自分の力で苦しんでいる人達を救ったり、楽しさを伝えてあげられたら最高に幸せだと思います。

「太極拳とイメージ」

二瓶 克義さん本部火曜教室
二瓶 克義



 薛先生より「会報に文章を書いてみませんか」というお誘いをいただき、末席に身を置く者ではありますが、分をわきまえずぺんを執りました。
 無極静功の練習を通じ、改めて認識を深くした「イメージする」という事についての私の体験です。

リラックス

 太極拳の練習では、先ず、「リラックス」ということが言われます。しかし、初心者がいきなり「リラックスして、力を抜いて」と言われてもなかなかうまくいきません。日常生活の多様なストレスの中で常に力む習慣が身に付いてしまい、どの状態がリラックスしているのかさえよく分かりません。人によっては単に力を抜いて緩みきった力の無い状態に陥ったり、リラックスしようと思うばかりに、かえって力が入ってしまったり様々でしょう。
 古来より太極拳の先人たちの説く、太極拳要訣(十三勢歌など)はありますが、その多くは、すでに完成された身体操作の要点を述べたものであり、初歩から完成へ向かっての具体的なプロセスについては、十分に言及されていないように私には思われるのです。

イメージの力

 では、要訣を完成させるプロセスとはどのようなものでしょうか。私自身を反省しますと、太極拳を始めたころは、力を抜くことに固執師、要訣を実行しょうとがむしゃらに練功しておりました。しかしそれには、どうしたら求められていることを体現できるかという具体的な方法と、正しいお手本が必要だったのです。そのことに気づかなかった私は、練功しても何の変化も無い太極拳wo、この先練習する意味はないのでは・・・・・・とまで思いました。
 無極静功に出会ったのはちょうどそんな時でした。そして数カ月間、無極静功の練習を続ける中で、私は「イメージする」ということの大切さに思い至りました。
 道場で練功する時はすぐに手が温まりリラックスできます。しかし一人の練功ではうまくいきません。道場の練功と一人の練功とどこが違うのでしょうか。いろいろ考えますと、まずその場の雰囲気が違います。実際に先生が一緒に練功してくださることも大きいでしょう。
 しかし私にとって一番印象深かったのは、先生が練功の際、イメージとして投げかけてくださる声でした。そこで、一人での練功の時は先生の声を思い出し、先生の言葉をイメージしながら練功するようにしました。すると、不思議に練功がだんだんと楽になりました。また、いつも同じ体調や精神状態ではないので、その時によってイメージも少しずつ工夫しました。
 そのお陰でしょうか、しばらくして、体にある変化が現れました。小さいな事かもしれませんが、長い間太極拳を練功してきてやっと少し、内部の感覚が自覚できるようになりました。
 それにはイメージするという事が大きく関わっていると思います。
 先生が導いてくださる声を頼りにイメージします。一人でいながら擬似的に道場での感覚を再現させるように・・・・・・。

太極拳と瞑想法

 話は少し変わりますが、仏教には坐禅を始めとして多くの瞑想法が存在します。その中には、瞑想に入って行きやすい様に多彩なイメージを利用するものも多いようです。最初は個人の頭の中でのイメージにしか過ぎないが、それを続け深める事により、宇宙(大いなる命)と感応することができる・・・・・・というものです。太極拳にも同じことが言えるのではないでしょうか。数千年にわたって伝承され、互いに影響しあい、目的や歴史は違うものの、二つの文化に共通のメソッドが存在するということ。このことは決して偶然ではないと思うのです。
 肉体と精神を協調させ、宇宙の法則性を体現することを目的とする両者の間には、おのずと具体的で合理的なよく似た方法が創出されても不思議ではありません。
 優れたその方法の一つがこの「イメージ」を使う方法ではないでしょうか。具体的にイメージできることによって先人たちの要訣への手がかりが見え、リラックスしながら自由闊達に太極拳を楽しめるようになる・・・・・・私にはそう思われるのです。
 無極静功を教わってはじめて自分の変化を感じました。さらに練功を深めて、肉体と精神がより高度に協調した太極拳を体現したいと思います。どんな素晴らしい方法を知っていてもそれを実践しなくては意味がないのですから・・・・・・
 最後になりますが、今回のこの拙い文章はあくまでも未熟な私の体験談に過ぎません。先生、諸先輩からはご指摘を受けるところ多いと思いますが、ご指導宜しくお願いいたします。


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