会報
会報第9号―――1998年1月19日発行


交流会

「処処是中心」

榎本紀次

「基本からしっかり学ぶ」

木村 久

本部動静が開設されました

ビールで乾杯!道場設立パーティーにて(1997.6.1)



交流会

交流会での講演無極静功第9回交流会は昨年の5月31日(土)午後1:00〜4:00、新宿スポーツセンター大会議室で開かれました。会場隣の戸山公園にて1時間共同練功した後、日本大学名誉教授大村政男先生が「気と人格心理学」をテーマに講演されました。参加者は91名でした。

交流会での講演第10回の無極静功交流会は昨年の11月22日(土)午後1:15〜4:00、新宿スポーツセンター大会議室で開かれました。雨天のため、室内で三円式站椿功、静坐法等を練功した後、麗澤大学教授小田川方子先生が「東西思想における身体観」を講演されました。参加者は95名でした。

処処是中心

榎本紀次さん神奈川県川崎市
榎本紀次(初段)

子供の頃、熱心に観ていたTV番組 (ジャガーの眼) により、中国拳法の魅力に取りつかれ、武術への強い憧れが生じたようです。中学・高校時代は「柔道少年」として過ごし、大学では是非ともはいりたかった少林寺拳法クラブがなく、ギターとビートルズに狂いっぱなしで、結局のところ、武術的には空白の四年間を過ごしてしまいました。
憧れの少林寺拳法を始めたのは、大学卒業後、二十代半ばになってからでしたが、生傷が絶えず仕事にも差し支えるようになり、数年で断念せざるを得ませんでした。しかし、同じ頃に始めたヨガや野口体操を通じて東洋医学に興味をもつようになり、本格的に学ぼうと専門学校に通い出しました。仕事をしながらの夜間の勉強でしたが、指圧師の資格を正式に取得し、自宅で開業、以来二十年になります。武術から健康法への方向転換でした。
太極拳との初めての出会いは一九七七年、楊名時太極拳二十四式でした。以来、現在に至るまで二十年にわたり稽古しつづけております。そしてその間、多くの先生から教えを受けてまいりました。楊進先生からは推手と形意拳の基礎を、中野春美先生からは伝統楊式太極拳と陳式太極拳老架一路、二路、剣等を教えていただきました。一九八四年以来、千葉県能忍寺の山口博永老師からは、陳式太極拳の新架一路と座禅の指導を受けつづけております。このような修行の途上において出会ったのが、無極静功・薛永斌老師でした。直接的には太極拳の仲間であった龍野和子さんの強いすすめと導きにより、一九九三年に無極静功に入門させていただきました。初めてお会いした薛先生は、中肉中背、穏やかな人柄で、どうしてこの人が中国武術の達人なのだろうと不思議に思えました。

静けさと強さと

「日本人の太極拳には中身がない。」
「太極拳をやる人は気功もやらなければいけない。」
「無極静功を練功することによって、自分の武術(太極拳)が大変強くなった。」
これらの薛先生の言葉が、私の胸にズッシリと重くひびいていたのです。
養生気功法を指導されているときの穏やかな静けさと、推手や武術を指導してくださる時のしなやかで確かな強さ、時にハッとする程の武術家としての鋭い眼の光。この両面が薛先生の魅力であり、無極静功の魅力でもあるのです。入門以来、丸四年たった今でも、益々その魅力にひかれています。
薛先生は、武術家としての実力とそれを裏づける理論、深い学識をそなえた稀有な存在の老師です。私の二十年にわたる太極拳練功の総仕上げを、今、していただいているという思いで胸がいっぱいです。
私自身、数ヶ所で太極拳の指導をしており、薛先生からの教えが非常に勉強になり、役立ってもおります。五十歳を迎えるにあたり思うことは、指圧の治療と太極拳の指導が私の天職であり、さらに将来的には無極静功の指導にもたずさわりたいということです。

「処処是中心」
―――宇宙 (大宇宙及び小宇宙たる人体) には中心がないので、どこでも中心になりうる―――

この無極静功の根本命題をいつの日か身を以って悟り、調和統一された自然で美しい心身が得られるよう努力しつづけていきたい、と願いつつ。


基本からしっかり学ぶ

木村久さん東京都狛江市
木村 久

無極静功を始めて1年7ヶ月になります。その3年程前に整体を受けたことから「気」というものに関心を持ち、気功に関する本を読み、気功を学びたいと思うようになりました。無極静功の本を読み、形と気について、深く実践と研鑽を積んでいることに心惹かれました。
教室の初日、「さあ始めましょうか」という先生の声とともに、廻りの空気が急に変わったように感じながら、先生の正面で、先生の声に従い、動作を追い、何か凝縮したような時間を感じ、終了した時には、全身マッサージを受けたような虚脱感がありました。そして長いこと苦しんできた左腋と左股関節の違和感が、薄らいでいることに気付きました。その日から毎日1時間程、先生が説明されたことを思い出しながら練習を始めました。
教室に何度か通ううちに、「言葉」「イメージ」が重要なものだと思いました。運気法、回転式で、腰からといって手を回転されました。外からでは分かりませんが、触れば、腰、腰椎の一点が、グリッと動くのが分かります。腰から動く、これが基本ですと言われました。
今できないこと、今分からないことでも、腰からということをイメージして動作をする。それは自分ではできるように思いましたが、実際には忘れていて、時々思い出し腰を意識し、そしてまた忘れイメージがおろそかになる、その繰り返しでした。

時間をかけて

行歩法でも、イメージを持って動作をすることが、いかに大切かを説明されました。毎日30分やって、足首が水の中を歩くような感じになる迄に3年、膝で5年、最後は胸ですが7〜8年といわれたように記憶しています。この習得できるまでの長い年月に、私は無極静功の奥深さを感じました。そして、正しい形を習得するには正しいイメージをしっかりと持って、地道にやっていく以外にないと思いました。
しかし実際には、なかなか思うようにはいきませんでした。運気法の練習をしていた時、両掌に激しい熱感があり、教室での練功中には、耐え難い感じに変わっていきました。先生にお話をすると、それはよくあることです。あまりそれを意識せずに、左右、上下、身体全体をみるようにすればいいでしょうと言われました。そのような激しい感じは次第になくなりましたが、半年ほど経った頃、三円式を30分位続けていると、両手が少しずつ開いていってしまうようになりました。
先生にお話をすると、皆さんの前でどうぞと言われ、私は毎日やっているように立ちましたが、即座になおされました。
胸の前、で両腕で大きくボールを包むようにし、中指を向かい合わせるようになおされると、何かがパッと膨らみ、気持ちまで急に明るくなり、アッという間に、深い心地良さと充実感に包まれました。不思議でした。それまで20〜30分やってやっと得られたもの、それよりずっと深い感覚が、瞬時に得られる。

内部の感覚が変化する

私は不思議さとともに、眼の前が急に明るくなったような喜びを感じていました。それからは三円式では、比較的に短時間で一定の感覚が得られるようになり、徐々に拝仏式に時間をかけるようにしました。すると今度は、骨盤のあたりがピシッと鳴るようになりました。それは内気が強くなり、身体の歪みを内部から調整しているので、大丈夫ですといわれました。私は無理をせず、拝仏式の時間を延ばしてゆき、できるだけ楽に立つようにし、3度目の説明を受けた時には、かなり楽に立てるようになっていました。
3度目の順気法の説明を受け、左手は鼻先、右手はお腹の前にした形の調整を受けた時、私は身体の空間が変わるような非常に強い感覚を持ちました。僅かな位置の調整だったと思いますが、内部感覚の変化は大変に大きいものでした。そして上下に回転してゆくと、背中のあたりが、解きほぐされていくようでした。私は形とそのかたちのうみだす気の関係を、少し理解できたように思いました。
今、3度目の静坐養神法のおを聞き、見せていただいた気功と、座禅との僅かな違い、それにある内面の大きな違い、それらについて思い浮かべては、形の差異を注視しています。

正しい形、余裕があり、身体全体の充実感と満足感、この事は絶えず忘れることなく、日々練功を続け、いつの日か武術も学びたいと思っています。


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