会報
会報第10号―――1998年10月10日発行


ことば「展」


薛永斌

交流会

「無極静功と私」

松永輝子

「健康法としての気功と鍼灸」

堀田高弘


ことば

薛永斌

勁は、気と、筋肉のパワーとの結合であり、太極拳の中心的な内容をなしています。太極拳の形、技、パワーは、勁と密接に関連しています。
展とは、勁の空間への広がりです。
重心を安定させ、背筋を伸ばし、両腕を空間で繋ぐ。いわゆる三弓一円の状態を形成し、同時に、鼻先をお臍に向け、腹式呼吸を導き、丹田の充実した感覚を指先まで繋げ、体のあらゆる部位と繋げて、自分の体に停止させることなく、絶えず周囲に向かって伸ばし、空間でも繋がるようにします。
空間が大きいほどパワーが強く、綿密であるほど、技は上質となります。
展と<松>とは陰陽調和の関係にあります。体の陰に属する部分を緩めて余裕を持たせる<松>に対し、体の陽に属する部分を伸ばし、空間を形成させるのが展です。
さらにその両者のバランスが肝要です。展は形の美しさをもたらすためだけでなく、太極拳の勁を習得するための重要なポイントでもあります。

春合宿/2000.4.15-16

太極拳活歩双推手―ポン、リー、チイ、アンを練習。
(7月19・20日/夏合宿)



交流会

交流会での講演5月23日午後、新宿スポーツセンター大会議室で無極静功第11回交流会が開かれました。会場隣の戸山公園にて1時間養生十二法と太極24式を共同練功した後、国士舘大学健康管理室の峯岸由紀子先生が「無極静功による血液中セロトニン濃度、βエンドルフィン濃度の変化について」をテーマに講演されました。参加者はちょうど100人でした。


無極静功と私

松永輝子さん横浜市緑区
松永輝子(初段)

今年の八月で、無極静功と出会って丸八年になりました。気功と太極拳を続けてきたお蔭で、今、自分の足で歩き、ごく普通に日常生活を過させていただいていることを思うと感無量です。
私は、今までに二度、死に直面しました。一回目は、二十四年前「多発性神経炎」にかかり、脊髄にウイルスが入ったため四肢麻痺を起こしました。「寝たきりか、死」と宣告され、六ヶ月間入院しました。二回目は、十年前に、沸きたったお風呂に落ち、顔以外全身80%のやけどで危篤状態に陥ちいり、八ヶ月間入院しました。幸い一命を得たものの、病院のリハビリだけでは回復が遅く、呼吸法を取り入れたヨガ、座禅や漢方等々懸命の日々を送っていました。一九九○年夏、十日市場地区センター(横浜教室)の黒板に「無極静功同好会」とあるのを目にし、導かれるように見学をお願いしました。その時の薛先生の繊細で美しい動きに魅せられ、そこに秘められた先生のお人柄までも伝わってくるようで、ただただ感動し、その場で次週から教えていただくことに決めました。

疲れと眠気

当時は、まだ体力もなく足腰の筋力もなく、やっと立っている状態でしたから、その頃の「站椿功」は体中が緊張してバタッと倒れてしまいそうでした。かと思うと無性に眠くなってしまうのです。それでも十二法は大好きで練功が終る頃には体全体が気持よく、口の中は唾液でいっぱいです。貝原益軒の養生訓にある「唾液は、体の潤いであり、血液となる大切なものである」という言葉を思い出しました。ふだんから自分の健康状態の目安にしていましたので「気功ってスゴイな!!」と感心しました。
しかし太極二十四式になると「何んで二十四式があるの?家に帰りたいな」とため息が出ました。疲れてたまらなかったのです。そんなわけで二十四式を覚えるのに何年もかかってしまいましたが、練習しているうちにだんだんと楽になり、今はその太極二十四式もなくてはならないものになっています。

初めての合宿

一九九五年、夏の御岳山合宿に初めて参加。内容が豊富で十二法、太極二十四式、太極一○八式までは何とかついていけたのですが、相手と組む太極拳の「推手」にはただ戸惑うばかりでした。単推手の定歩すら上手(うま)くできないのに、双推手の定歩、活歩との出会いは、私にとってはあまりにも衝撃的であり、あせるばかりでした。もともと運動神経が鈍いので、親切に教えて下さっても、相手の方に気の毒なほど覚えられないのです。
しかし、何かが私の心の片隅に残ったようです。合宿から帰った後も、苦手意識のある推手が気にかかり「推手が上手に出来たらどんなに楽しいだろう。それに元気になって健康になれるのでは」という思いが、波紋となって心の中に広がってゆきました。
練功のお蔭で随分健康になりつつあるとはいえ、手足の麻痺や脱力感、疲労感はまだ続いていました。このまま自然に任せていたのでは完治は難しいと感じ始めていた時でした。私にとって相手と組んで行う推手は、結果としてそのパワーがいただけるような気がしたのです。
「今、病気に立ち向かい、病気と戦い、打ち勝つ為には<推手>これしかない!!」内なる声が聞こえたような気がしました。
一九九六年二月、火曜の午前を上北沢教室、夜は護国寺教室に通うことにしました。
ゆったりと体全体の充実感を味わいながら通う午前の練功が、夜の教室の武術的な動きにもつながってゆく。
太極と気功の関わりを実感できるこの少しきついローテーションが、今日まで続いています。

太極気功を楽しむ

薛先生は、当初ハードすぎるのではと危惧感をお持ちになられたようで、ご心配をおかけしました。
遅れている太極推手は、研修会で一緒だった2人の先輩に教室の前後の時間に補習していただき、どれほど心強かったことでしょう。
教室の雰囲気にも慣れ、勇気を出して他の方々にも教えていただくうちに、引っ込み思案だった性格も改善されてきたように思います。
武術的なことも含めた無極静功を続けることによって、難病に打ち勝ち、疲れも全くなくなりました。これまでの人生の中で、私は今が一番元気なのです。自然治癒力が高まり、体の内、外面ともにきれいにしていただいた気がするのです。
今の私の楽しみは、夕方折々の景色を見て、せせらぎを聴きながら川沿いの道をウオーキングし、そして日々刻変化する空や雲、夕陽の美しさに感動しながら、静立養気法、站椿功から練功を始め、日没後、まだ苦手な行歩法(本当は好きなのですが…)を行って終わります。現在の健康がうれしく幸せです。
薛先生をはじめ無極静功の皆さんに、心からお礼を申し上げます。


健康法としての気功と鍼灸

堀田高弘さん神楽坂「はり坊」
鍼灸師 堀田高弘(二段)

ボケボケ防止(=気功)と
ヨボヨボ予防(=鍼灸)

21世紀の医療は予防医学だといわれます。この予防医学の思想こそ東洋医学の基本的な考え方です。
病気になってから直し始めるのではなく、病気にならないように日頃から養生すること、すなわち『未病』の重要性を東洋の知恵は古くから説いてきました。
養生するとは、本来もっている自然治癒力を高めることです。
気功が自分で気を養い、調整して、自然治癒力を高めるのに対し、鍼灸(しんきゅう)は、物理的刺激を加えて、効果を得ます。
頭痛やめまいの症状に、なぜ遠い手足の鍼(はり)が効くのか。自然哲学思想に基づいた中国3000年の経絡理論が、これを裏付けています。川の流れを阻害する石は周囲に災害をもたらすが、取り除けば、流れは自然と回復します。
気功も鍼灸も、経絡を調整する優れた健康法なのです。

心地よい♪鍼灸の刺激(響き)

鍼は痛い、恐いという印象を持つ方も多いのですが、「ハリ」といっても注射針や縫い針とは違います。特に日本の鍼は、髪の毛程の太さ(0.2mm程度)で、ほとんど痛くはありません。
「響き」とは鍼をうったときの刺激や体感のことで、これは人によりまた症状によって様々です。
30代の女性のケース。仕事のストレスによると思われる肩こりの症状がある。そこで「大衝」*という足のツボに鍼を打った。すると膝の裏〜腰〜肩〜頭〜目のまわりに流れるような「響き」を体験したという。それは経絡のルートそのものを示していたのです。

「大衝」* 現代医学でいう自律神経失調、神経精神疾患、ストレス、肝胆疾患や眼疾患に効果のあるツボ。

気功上達の裏技? 経絡を知る

経絡の考え方を理解しておくことは、気功練習の上でも必要なことです。
経絡とは体上を気が流れる路で、ツボ(経穴)はその路上に現れた反応点です。路というとをイメージしがちですが、幅広い帯と考え、その帯が、体中を縦に包んでいる。これが陰(6種)と陽(6種)合わせて12の経絡(十二正経)です。
四つん這いになった時、陽(ひ)の当たる場所が陽経、陰(かげ)になる処が陰経です。
「陽の部分を伸ばして」と言えば、膝の裏〜腰〜背中と伸びている感じがしてきませんか?

気功は鍼灸治療の母

鍼は、数打ちゃ当たるでは効果は期待できないし、痛いのでは打たれる方も続きません。症状を正確にとらえ、適切な選穴を行い、気持ちがよくて効果のある鍼を打つ、これが理想的な鍼灸ですが、そのためには、鍼灸師自身も緊張を和らげ、リラックスし、また、相手のリズムを通して全体のバランスを整える、ということが必要です。
まさに気功の要訣―「松」「静」が求められているのです。
気功では自分自身に問いかけます。
「気の感じがありますか」
「バランスがとれていますか」
そして自分で答えるのは自分。
この積み重ねが、自覚へと繋がってゆきます。
答は自分の中にあるのです。


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