会報
会報第12号―――1999年10月1日発行


第13回交流会

「專氣致柔。能嬰兒乎。」
(推手の理解と体験についてのレポート)

大丸敏之

「無極静功第13回交流会に参加して」
(交流会のレポート)

赤尾和代

「夏の合宿に初挑戦」

山本清一


本部土曜日午後教室の太極24式

本部土曜日午後教室の太極24式(第13回交流会/5月15日)

交流会

第13回交流会は、5月15日午後1時半から4時半まで、新宿角筈センター大ホールで行われました。
今回は初めての無極静功各教室の表演交流会で、計19教室、193名の方が参加されました。
養生十二法と太極24式(定歩も含む)、太極108式、太極推手、八卦歩法、散手など多彩な内容と、真剣で気迫十分な練功は、最初の教室の表演から最後の教室の表演まで全参加者を魅了し、楽しい交流のひとときを過ごしました。

專氣致柔。能嬰兒乎。

石井式子さんさん東京都江東区/三段
大丸敏之

気を専らにし柔を致(きわ)めて、能く嬰児たらんか。(福永光司著 「老子/上」 朝日文庫より)
「専氣致柔」 の四文字を私は自己流に 「気功を深めて太極拳の原理を究める」 と読みます。
本来は、無為自然の道をきわめた聖人が、心身ともにしなやかなで、生れ立ての赤ん坊のように初々しく屈託のない様子を描写しているのですが、私には『致柔』が「太極拳を究めること」の意味に思えるのです。

「柔らかさ」は太極拳の技術の中心にありながら最も理解されにくい概念なのではないでしょうか。
24式の練習では柔らかくても、実際の組み手となるとつい力まかせの「推手」になりがちです。最初は「柔らかく」推していても、強く推されれば自然と対抗します。推し返し、またそれを推し返す、流され、流す。流された方は流されまいと頑張る、流す方もそれに負けまいと力を込める。次第に力が入ってしまいます。
このような推手では常に、力の強い人が有利です。年配者より若者が、女性より男性が有利なのです。
推手では柔らかい方が優勢だといわれます。ほんとうに「柔らかさ」が優位にたてるのでしょうか。

範囲を意識する

定歩推手の場合には、力の強弱に大きな差があっても、お互いの攻撃範囲にそれほどの差はないことが分かります。一杯に伸ばした相手のリーチは、限度以上には伸びません。恐れずに、相手の攻撃の届く範囲を見きわめることが大切です。
手首を攻められると、多くは腕を使って守ります。肩が痛くなるのは、この部分に力が集中するからです。
この場合は腕にこだわらず、肩をおろし、背筋を伸ばして、身体をゆるめます。身体を柔らかくすれば手首への力が肘に通じますから、肘で力の方向を変えてやることができます。注意深く細かく動き、攻撃の力が自分の範囲から逸れていけば成功です。
肘まで攻め込んでくれば肩も使います。手首、肘、肩と使うことで攻撃がからだに届くまでの距離が伸び、その分変化の余地ができて、自分の範囲が広くなる。「ふところが深く」なるわけです。

中心を考える

距離からみれば相手の攻撃が届くか届かないか、また角度から考えると中心から外すことができるかどうかが守りのポイントとなります
力づくで攻めてくる相手なら、かえって明確です。膝をゆるめ腰を落とし、身体を正しく合わせ、手首を柔らかくして相手に攻めさせる。肘を使い、肩を使って攻撃を受けます。相手も限度一杯まで伸びてきます。しかし伸びればのびる程、力の方向は小さく限定されます。距離が伸びれば、角度の変化は小さな動作で充分なのです。
逆の立場からみると、柔らかく反応してくる相手との推手では、なかなか目標を絞ることができません。まっすぐ伸ばしてもなかなか相手に届かない。ほんの数ミリ、あるいはもっと微妙な動きで攻撃が無力化させられてしまいます。
中心線とは変化の軸のことですが、小さく自分の中心をそらすことができれば力を用いずに相手の攻撃をコントロールすることができるのです。
もう力だけでは攻めることが出来ません。細かな変化に対してはそれを凌駕する攻める柔らかさが必要です。推す力より、まさに推す技術が必要になるのです。

推手と気功

太極拳の柔らかさには気功の練習が必要です。
私は推手の内容の多くは気功の練習の中にあると考えています。武術の功を急いでは、もっとも大切な内容を欠くことにもなりかねません。
姿勢を調えると呼吸は安定し、気感を導きます。そのまま続けると身体は暖かくなり、内部にさまざまな動きが生じます。動きを感じながら身体の隅々まで協調させれば呼吸はより細かくなり、身体の安定と統一が得られます。
身体の統一感は形の基礎です。
内気は変化に欠かせない内部の繋がりの感覚です。
呼吸の細やかさは、推手の緻密な変化を実現するものなのです。
楽しく交流できる推手も静かに形を練って養う気功も「柔のきわみ」に至る同じ道であると私は確信しています。
そして「気功を楽しみ、太極拳を究めれば、嬰児のように屈託がない」のです。

無極静功第十三回交流会に参加して

佐藤員美さん東京都小平市/二段
赤尾和代

今回の交流会は、今迄の講演会形式とは趣を変え、表演交流会という形で開催されました。
内容は、無極静功の功法を自由に構成して五分間表演する、一組五名以上参加、というものでした。早速、会に持ち帰り、内容を説明しました。先ず心配になったのは、当日の出演人員でした。入会間もない方は、舞台で表演すると聞いたゞけで、尻込みしてしまうのではないかという心配がありました。所が、私の危惧をよそに、当日他の用でどうしても都合のつかない方、健康上の問題で新宿迄は無理という方を除いて「私出ます」という嬉しい御返事でした。出席者十六名、その場ですぐに決まりました。

それからは、永い方は八年のキャリアがあり、新しい方は養生法も半ばという状況の中で、表演に向けての取り組みが始まりました。中には足を動かした方が楽ですと訴える方もあり、それではと全員で太極二十四式をやって見ると、容易には手と足が一致して動いてくれません。又、全員が揃うというのも大変困難である事が解りました。結局、足は動かさずに腰を動かしましょう、定歩二十四式を時間内で出来る所迄と決まりました。
表演時間五分で、当初は一(調気法)から十五(如封以閉)迄を演じる予定でしたが、練習を重ねている内に、段々と全員がスムースに動ける様になったので、十八(単鞭)迄演ずる事にしました。
こうして練習を重ねる毎に、皆さんの呼吸が一つになって行くのを感じ、目前の目標を共有する事の大切さを痛感しました。
残された問題は、当日着用するTシャツのカラーでした。舞台でライトを浴びての表演ですから、無彩色というのもさびしいし、かと云って余り派手な色もどうかと思われます。
様々に思いあぐねた末に、カラー見本を持って行って、皆さんに希望を聞いて見ました。最終的にうすいピンクに決まり、早速注文したのですが、希望の色は数が揃わないとのこと、現物も見てないし、多少の不安はありましたが、思い切って皆さんの希望するカラーより一段階鮮やかなピンクに変更しました。さすがにTシャツが届いた時には、思わず「エーッ、この色?」 と声を上げた位、箱の中のTシャツは鮮やか過ぎるピンクの集合体に見えました。容易に受け入れられないかも知れない不安を抱えて、兎に角皆さんに見て貰いました。「明るくていゝんじゃない」というご返事にホッと胸を撫でおろしました。

衣裳も決まり、表演に向かって最終的な練習が始まりました。薛先生も御心配のあまり、御指導と共に、何度もタイムを計って下さいます。なにぶんにも、多くの方は、舞台での表演など初めての経験です。不安が見えかくれしているのが伝わって来ます。
交流会の前の週には、河村さんと、当日の時刻に合わせて昼食のこと、連絡場所、ホールの下見等のチェックを済ませました。当日はその儘表演出来る服装で集合しました。舞台用にとお化粧を担当して下さった方もいます。
幸いな事に今年は始めての試み故、評定はないとの事、皆さん緊張しながらも、伸びのびとたのしんで表演を終える事が出来ました。
薛先生を始め、当日お世話をして下さいました役員の方々、そして暖かく見守って下さった皆さまに心から感謝致します。

夏の合宿に初挑戦

灰原一彦さん千葉県佐倉市/初段
山本清一

参加を決心するまで

春・秋の合宿は数回参加していたのですが、夏の合宿は初めての経験でした。
この御岳での夏の合宿は太極拳武術のレベルの高度なものもあり、また一説には強化合宿であるとも聞いていました。従って私には体力的にも技能的にも無理であり、程遠い存在に思えていたのです。
処が、今年になって、この夏の合宿に俄然、興味と関心が湧いてきたのです。それにはいくつかの動機と条件の整備がありました。
その一つは、今年の五月十五日の表演交流会。その最後のプログラムで勇壮な武術が展開されました。一瞬、場内がその迫力に惹きつけられ、緊張感が漂いました。これぞ、無極静功の真髄。演ずる方々の勇姿に憧憬の念を抱いたのです。
合宿に参加すれば、この大先輩の胸を借りるチャンスもあるだろうし、春・秋と同様、貴重な収穫が得られるに違いない。それにしても、体力面で不安が無いとも言えないが、最近は極めて良い。薛先生から「夏の合宿は、武術に興味のある方も参加できます。」との一言が、私には大きな救い。ここで参加を決意しました。
振り返れば、一九九三年一月、健康を信じて疑わなかった私が、突然、一過性脳虚血症で倒れ、救急車で入院。まもなく退院しましたが、そのショックで自信喪失。体力半減。気力沈滞。そのとき、幸運にも、佐倉市にあるNHK文化センターのユーカリが丘教室で無極静功との出会いがあったのでした。それが今の私の養生の土台となっているのです。

自分との戦い

話はさかのぼりますが、本部教室で単推手の対人活歩の練習をしている時でした。薛先生が私に、「足がばたばたしていますねぇ」と言われました。その言葉が暫く私の耳に残っていました。言われてみれば自分でも「どうも足が思うようについてこないな」という感覚はありました。相手の攻めの圧力を受けたまま後退し、次に攻めの態勢に入ろうとしても、相手の中心に攻めの手が届かない。焦れば焦る程、上体が浮き上がり、上半身と下半身の意志の伝達がばらばらの状態。そして呼吸は乱れ、労多くして益なしの状況に追い込まれていく。
自分の動きに統一性が無く、形もどこか不安定。その結果が例の「ばたばた」なのだ。自分では良かれと思っていても、客観的には無駄な動きに過ぎない。このままでは、進歩も無し、問題の解決にもならない。「よし、負けるものか。戦いの相手はこの私の中の自分にある。」と思いました。

正しい形を

ケーブルで御岳の山頂へ。午後一時過ぎに宿舎に到着。初日の午後と夜は体育館で実技。翌日の早朝は野外で練功。朝食の後、正午まで体育館で実技練習。その内容は推手は言うまでもなく散手もまじえた密度の濃い実技でした。
太極拳武術の実技では組む相手によって、お互いにその人の個性や特色が技に表れてきます。こちらもその都度、その相手に対してどの様に対応するか、とても興味のあるものであり、また奥義の深いものとなってきます。それだけに、相手に対した時点でこちらに余裕が無ければならないのです。薛永斌先生著『養生気功法』に、《形は気の活動の基礎である》とあります。また正しい形は強い気のパワーをもっているとあり、その形は自然で美しく余裕があると記されています。私の余裕の無い要因はその形にあったようです。
幸いにこの合宿で多くの先輩の方に相手になって頂きました。そして私の動作に誤りがあるとすぐその場で親切丁寧に直して下さいました。どの方も無極静功を心から尊重し愛しておられる方々であることを知りました。

与えられた課題

この夏合宿で学んだ事、朝の練功の後で特別に手合わせをして下さったお二人の先輩から実体験で学んだ事など、それらを集約して、自分の今後の課題としてみました。《力で相手を攻めれば、相手は私の力を逆利用し、私は自分の力で負けてしまう。力みを捨て、我欲を捨てる。そうすれば、相手と接触している手から相手の動き、相手の変化、力の方向が察知できる。つまり、―捨己従人―。相手の力を勁で受けて流し、勁で攻める。虚実を曖昧にせず明確にする。練功の八法に「虚実の変化を促し、全体の協調とバランスの調整」とありこれに依って充分な余裕がもてる筈。》 この私に課せられた永遠の課題を解決に導くためには、《推手は套路の検証でもあり、形の応用でもある。》と言われた薛先生の言葉を基に、より一層、十二法・二十四式の練功を深めていきたいと思います。これをもって合宿でのお礼に代えさせて頂きます。

 御岳山合宿参加者の皆さん

1999年夏、御岳山合宿参加者の皆さん (7月17-18日)


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