会報
会報第13号―――2000年3月10日発行


短信 ―― 呂継唐老師御夫妻来日

「呂老師御夫妻歓迎会」

石井式子

交流会講演『ヴィパッサナー瞑想法』から

佐藤員美

「気功とウォーキング」

灰原一彦

呂継唐老師-調気法 呂継唐老師-太極運気法

呂継唐老師のご表演――調気法(左)と太極運気法(右)
1999.12.5/よみうりホールにて

短信 ―― 呂継唐老師御夫妻来日

無極静功の主宰、中国気功科学研究会名誉理事の呂継唐(ろけいとう)老師御夫妻が、昨年12月3日夜来日されました。5日には中国気功代表団のメンバーとして日本気功協会主催の "これが気功だ" 大会で表演され、8日には無極静功日本主催の 「呂継唐老師御夫妻歓迎会」 に出席されました。10日早朝、上海に向かって成田空港を出発されました。


呂老師御夫妻歓迎会

石井式子さんさん東京都小平市/二段
石井式子

昨年十二月八日午後六時三十分より、新高輪プリンスホテル 『白鳳』 の間にて、七十一名の方が出席され、「呂継唐老師御夫妻歓迎会」 が開催されました。
ホテルのロビーは年末を控え、クリスマスパーティーで華やいでいましたが、表演間近の私たちは、Tシャツに黒ズボン姿で、各自立つ位置を確認したり、静かに瞑想したりして、その時を待っていました。長い間待ちわびていたご夫妻との交流が、今始まると心躍ります。
薛先生に伴われて、呂先生ご夫妻がにこやかにエレベーターから降りてこられ、あいさつもそこそこに、私たちの表演を見ていただくことになりました。
三円式/拝仏式/運気法/起落回転法を約七分、次に二十四式を終りまで、二十数名ずつのグループでの表演です。
奥様の陳先生がじっくりと、ひとりひとりをご覧になっているのが印象的でした。

無極静功日本の表演(起落回転)

呂老師御夫妻の前での表演(起落回転法)

呂老師御夫妻歓迎会立食パーティー七時すぎに始まった立食パーティーは、着飾った人たちでいっぱいです。灰原一彦さんが生徒を代表して歓迎の挨拶、それに続く呂先生の挨拶に会場全体が静まりました。八十歳をすぎているとは思えぬ大きな声、背筋のすっと伸びた体躯。
奥さまの陳先生も、私たちに会えて大変うれしいと挨拶されました。
薛先生は、たくさんの人といっしょにご夫妻を迎えることができた喜びを述べました。
辰巳栄憲さんがいきおいのある声で乾杯の音頭をとると、場は盛り上がっていきます。
大丸敏之さんは去年ご夫妻で渡米された時の思い出や、私たちの表演を通してお気づきになった日本の印象をおたずねしました。「両国とも明るく活発に気功を楽しんで良い雰囲気です」 と答えられ、会場に大きな拍手が沸きました。
成田瑳智子さんは陳先生に日々の中で気をつけていること、とくに食生活を、また遠藤瓔子さんは陳先生の肝臓病を完治させることができた練功法についておたずねしました。

「生活の中で特に気をつけるのではなく、自然に合わせるように生活していけば、良いものはよい方向へ、悪いものでも練功によって、自分にとって良い方向へ改善されます。」「病中の練功は立てないときは座ったまま晃海法、静臥式などで十二法を、腹式呼吸で整えて練習しました。」
佐藤員美さんの中国語の歓迎スピーチはユニークなもので、短い歓談の中での、なごやかな一瞬でした。
最後に岡部守成さんが 『一日二十四時間気功』 という陳先生の考え方について質問。「あらゆる事柄につねに充分な気持ちで従い生活すること、その意味での練功です」 と分かりやすく答えられました。
多くの方々のご協力で、たくさんのスナップ写真と大切な思い出を残した、華やかな充実した歓迎会となりました。

(歓迎会幹事)

呂老師御夫妻を囲んで

呂老師御夫妻を囲んで

第14回交流会講演『ヴィパッサナー瞑想法』から

佐藤員美さん東京都世田谷区/二段
佐藤員美

昨年11月20日、スリランカ仏教界の高僧A・スマナサーラ長老をお迎えして、『ヴィパッサナー瞑想法』について、ご講話をいただきました。

以下、その興味深い内容を自分なりにまとめてみます。

《観る》

「Vi」とはパーリ語で、区別して、分別して、明確にの意味、「passana」は観るの意味、即ち「ヴィパッサナー」とは、厳密に、明確に、分別して、区別して、しっかりと「自分」を観察すること。西洋科学よりもっと厳密に、科学的に観ていく。その際、どんな固定観念も、何の信仰も使わず、いかなる解釈もしない。全く自由な心で、客観的に観るのです。
ヴィパッサナー瞑想法は、心を観察し、心を勉強する修行方法で、実践によって幸せが得られ、また、健康だけでなく心に充実感の得られる方法です。
憎む、怒るなど、不幸をつくるエネルギーをカットし、幸福をつくるエネルギーを大事にすることにとって、心を二度と汚れないようにするという方法でもあります。
実践に入る前に、まず、すべての生命は平等で生きる権利があるという《慈しみの気持ち》を心におきます。

《食べる》《歩く》

一枚のおせんべいを食べてみる。
坐って、すべての動作一つ一つを、超スローモーションでやる。
手を伸ばしておせんべいを取り/おせんべいを口に運び/一口噛む/おせんべいを戻す/手を戻す/噛んで味わう/これ以上噛めないところまで噛んでから、飲み込む。
これを繰り返し、30分もかけて一枚を食べてみる。
やり終えると、心が落ち着いてくるのがわかります。
次は歩く瞑想の練習法です。
(1)ゆっくりと、落ち着いて、体を動かさないで足だけで歩く。
(2)一切の思考をやめる。それには、隙間なく頭の中で現在を生放送で実況する。右足上げます/運びます/下ろします/左足上げます/運びます/下ろします…。唇を使わないで、頭の中で、ずうっと実況し続ける。(食べる場合と同じように、動作を一つずつ隙間なく実況します)
(3)動きを感じてみる。手を伸ばす感覚、触る感覚、口に入った感覚、味の変化などなどを感じてみます。

講演されるスマナサーラ長老これがヴィパッサナー瞑想法の入口です。ほぼ一週間で集中力が生まれ、体も健康的になるといいます。
このような方法で自分を研究し、もっと進んだ人は、自分の怒り、嫉妬、憎しみなど、心の流れと、先程の体の流れをじっと観て、整え、身も心もきれいになるといいます。
心を中心において、心を育てる、心を感じとるという方法です。

本来は禅定の修行ですから大変厳しく、奥深い行のほんの入口をご紹介いただいたに過ぎないと思いますが、言葉(字面)の意味は理解できても、内包する真の意味、思想は難しいものであり、根底のところは実は殆ど分かっていないのかも知れません。
また同じ言葉でも、我々が日常使っている意味合いと異なると思われるものもあり、やはり仏教の根本思想の理解なしにはその境地に到達することは、かなり難しいのではないでしょうか。

わたし流・試みと発見

しかし、実践方法に限ってみれば、興味深くしかも取り入れ易く、気功に役立つところも数多くありそうです。
初歩の初歩ですが、幾つかの方法を、自分なりに試してみました。
その結果、私には粥のヴィパッサナーが一番やり易く、集中でき、それなりに効果があったように思われます。
一方、呼吸の瞑想では、失敗というか、おもしろい発見がありました。
そこだけにひたすら徹していられないのです。
結跏趺坐で、吸います/吐きますから始め、膨らみ/縮み、膨らみ/縮みとお腹の動きとその感覚だけを観て確認しているつもりですのに、また集中も持続している筈なのに、気持ちが安定して、一旦お腹の動きが感じられると、同時に体は無意識に全体を感じて調整に動いてしまうのです。
それが何となく分かるのです。ただそれだけの事ですが、徹底はできないにしても、もう少し、ヴィパッサナー瞑想法を試してみたいと思っています。

《説法》の魅力

NHK教育テレビで拝見したときは、内容も系統も整然としており、静かに淡々としたお話しぶりでしたが、今回は一変し、時流を織り込み、豊富な比喩、寓話を用いた巧みな方便は、時に畳み掛けるがごとき長老の雄弁さと相俟って人を引き付け、まさに「説法」そのものの感がいたしました。

又、大きく美しい眼から、時として放たれる鋭い眼光が、今も強く印象に残っています。

気功とウォーキング

灰原一彦さん東京都江戸川区/二段
灰原一彦

私は長年、1日40〜50キロを2〜4日続けて歩く長距離ウォーキングに親しんできましたが、かつて一緒に歩いていた健脚のウォーカー達が、50〜60歳代になると長続きせず、意外に短命な人が多いことに疑問を持っていました。
反面、年輩で長く歩き続けている人達を観察していると、歩くこと以外に、太極拳、ヨガ、合気道、居合など、色々なことをやっている人が多いことを知り、ただ歩いているだけではダメだと考えるようになりました。
そのようなことから、私が少年時代に中国で見ていた、太極拳のことを思い出し、60歳になったのを機会に、日本気功協会で無極静功を学ぶことになりました。
始めてみると、最初は膝が痛く、脚が思うように動かないことに驚きました。歩くことで脚は丈夫だと自信を持っていただけにショックでした。無理な歩き方で膝に柔軟性が失われていた何よりの証拠です。でも、一年もする内に体は馴れ、養生十二法と太極24式の一応の形を覚えることが出来、ウォーキングも以前より体が軽くなったように思えました。
続いて2年目に入り、仕事の関係で火曜日の夜の教室に移り、推手をやることになりましたが、腰が思うように動かない、活歩推手では脚がもつれる、すぐ息切れがして続けられなくなる。
これは大変な処に入ってしまったと思いました。しかし、柔道部で毎日猛稽古に励んでいた中学1〜2年の頃、同年輩の中国の中学生が太極拳を練習していた姿が懐かしく思い出され、とにかく1〜2年続けてみよう、この歳でも体が馴れてくるだろうと思い直し、毎週欠かさず、自宅で約1時間の練功を続けました。
結果として、月日が経過する内に体は柔軟性を取り戻し、無駄な力を使わないようになり、腰の動きも、脚の動きもスムーズになると同時に、丹田を中心に気の感覚も加わって、リラックスした気分と安定感が身についてきました。

歩き方が変わる

その間も相変わらず、種々の長距離ウォーキングに挑戦を続けていましたが、気功を始めて何年か後、自分の歩き方が変わったことに気づきました。
いつも30〜40キロの地点で感じた、足首と膝の痛みがいつの間にか消え、時速6〜7キロで歩いたハイペースのウォーキングが、時速5キロ程度のゆっくりした自分なりの歩き方になってきました。
自分のペースをつかみ、リラックスした気持ちで歩いていると、体が安定し、脚にも無理がなく、自然に腹式呼吸になり、いくら歩いても疲れません。
このような時の歩く姿は、背筋を延ばし、顎を引き、まさに《尾閭中正神貫頂》の境地です。
気功・太極拳もウォーキングも自分なりのリズム、ペースを把握していくことが大事であり、そして、両者共に自分なりに相乗効果をもたらしてきていることを、次第に自覚するようになりました。

これから

当初、10年続けられれば一応習得できるだろうと考えていた気功と太極拳ですが、9年目になって逆に実技・理論共に未熟だということが判るようになり、10年では、ようやく基礎が身につく程度で、むしろこれからが本当の勉強なんだという気持ちになっています。そうした意味で、これから更に10年、20年と気功と太極拳を練功しながら、ウォーキングもまた自然体で続けていこうと思います。
但し、70歳を過ぎたら、長距離ウォーキングは10〜20キロに止め、徐々に気功と太極拳に重点を移していきたい……と考えています。


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