会報
会報第26号———2018年1月21日発行

交流活動

太極拳の昨今

薛 永斌

「無極静功と音楽」

西 祐美

「太極拳は武術です」

萩原 澄子


交流活動

樹林練功会

 今年の樹林練功会は 4 月 1 日(日) 10:30 ~ 11:30 代々木公園中央広場で再開します。

集中講座

 4 月 27 日(金) ~ 5 月 11 日(金)(暫定)東京都内の各会場で開催する予定です。

春合宿

 4 月 28 日(土) ~ 29 日(日) 埼玉県嵐山町にある国立女性教育会館で行います。



太極拳の昨今

薛 永斌

 17世紀に、伝統武術である内家拳から太極拳は新しいスタイルの武術として形成されました。
 19世紀から1960年代にかけて、王族、貴族、知識階層の人々は太極拳の優しい動き、そして奥の深い気の修練に興味を持ち、好んで練習していました。 その時期に太極拳の研究も盛んに進められており、バランスが取れた円の動き、気をパワーとした武術的な応用だけではなく、養生のため気を養うことや、 また身心の統一などの点において、多くの流派に発展を遂げたのでした。
 1956年に中国スポーツ省は簡化太極拳を制定し、健康太極拳として国内外に普及活動を推進しました。この簡化太極拳は簡単で学びやすいのですが、 伝統的な太極拳の元になっていた合理的な武術の内容、そして発展した貴重な気の養生的な要素はほとんど含まれておらず、 ただ軽い体操のようなものになってしまっていました。 一方1966年~1976年の間(文化大革命期間)、伝統太極拳の各流派は封建文化とみなされて批判され公的場所での活動も禁止されました。 その結果、健康太極拳を称する簡化太極拳は国内外に広がり、太極拳活動の普及の助けにはなっていましたが、太極拳活動の質の水準は大きくダウンしたのです。
 私たち無極静功は一貫して気功をベースとして武術と養生を両立し、実践と理論研究の道を進んできました。日本での活動も30年を経ち成熟期に入ろうとしているところであり、 無極静功太極拳は真の武術太極拳、或いは優れた養生太極拳となったら嬉しいと思います。


「無極静功と音楽」

本部水曜日 中級教室
西 祐美


●無極静功との出会い

 私が無極静功と出会ったのは2000年の秋でした。子育てに忙しい中、何かからだに良いことをしなければと感じていた私は、友人からの勧めで早速横浜同好会に出かけて行きました。 体験してみて是非無極静功を学びたいと思ったのですが、娘の幼稚園が休みの土曜日は教室に通うことができませんでした。 しかしなぜかそこで諦めきれなかった私は、図々しくも指導しておられた飯塚先生に「人を集めれば教えに来ていただけますか?」とお願いし、快くお返事をいただいて現在の大口同好会がスタートしました。

 始めて間もなく、初心者でも大丈夫と勧められ江の島の合宿に思い切って参加したことは、私にとって無極静功への興味が深まる大きなきっかけとなりました。 夜の練習前、数名の方が黙々と行歩法を練習されている部屋に入った瞬間に感じた衝撃は、今でも鮮明に思い出すことができます。その静寂さと緊張感に圧倒され、違う世界の扉を開けてしまったように感じました。 また、翌日の練習では、疲れる様子もなく淡々と推手をこなされている先輩方の体力に驚かされ、心地よい疲労感と共に初合宿を終えました。そしてこの合宿以降、家でも時間を作って少しずつ練習するようになりました。

●変化の兆し

 気功を日々の生活に取り入れるようになってまず感じたのは、風邪を引きにくくなったこと、体調の変化に敏感になってきたことでした。 そして徐々に、気功は私にとって様々な精神的ストレスから解放されるためになくてはならないものになっていきました。

 私はフルーティストとして人前で演奏する機会が多くありますが、学生時代から舞台で「上がる」ことをどうすれば克服できるかわからないまま過ごしていました。 ある日、本番前の落ち着かない状態から目をそらさず站椿功をしてみたところ、緊張はしているものの、今までとは違う感覚で舞台に臨むことができました。 それ以来、本番前に練功することは、良い集中力を得るための大切な儀式となっています。

●音楽への影響

 こうして振り返ってみますと、無極静功での学びは、私の音楽活動の様々な面に影響を与えているのだと気づかされます。 姿勢のポイントはすべて、楽器を演奏する時にも歌う時にも必要とされます。 また、『人間の能力が最大限に発揮できるのは、軸を立て不必要な力を抜き、からだ全体で動ける状態の時である』、『意識の配分は、からだの隅々までの動きに大きな影響を及ぼす』など、 練功で少しずつ深まってきた感覚は、自分が演奏する時に生かされ、さらに生徒さんのレッスンを通して確信を深めることができます。 「一つのことに意識を集中し過ぎない」「上に向かう時は下(足)を意識して」「身体の中心軸を感じて」「今の状態を刻々と確認しながら先に進んで」等々、 レッスン中、音楽を教えているのか気功を教えているのかわからなくなることがあるほど(笑)、共通点をあげれば数え切れません。

3年前、吹奏楽の指揮をするようになったばかりの頃は、指揮者として自分が団員を引っ張っていかねばならないのに、逆に団員のテンポに引きずられてしまうことがよくありました。 そんな時に『相手と接していても、自分の軸がぶれず内面が充実していれば、体勢を崩すことなく相手をコントロールできる』という推手の感覚が役に立つのでは、と実践してみたところ、 確かに自分のテンポ感を保つことができ、こんなところにまでも無極静功の実践が役に立つのかと感動しました。

気功の柔らかさ、しなやかさは木管楽器の奏でるメロディー、剣の力強く鋭い動きは金管楽器の響きのようです。また、繊細に紡ぎ出されるような定歩のリズム感、大きなエネルギーの渦に身をまかせる活歩のダイナミックな躍動感、相手とのやりとりから新たな何かが生まれる推手のライブ感(ジャズみたい?)・・・無極静功の中には、音楽のもつ様々な感覚や性質がすべてにあるように感じられます。
西祐美さん





  2017年9月 みなとみらい大ホール
        吹奏楽の定期演奏会にて


●これからも・・・

 無極静功と出会ってから早17年、あっという間だったような気もしますが、同じ動作をやり続けるうちにその感覚は徐々に変化してきました。 「わかった!」と何度も思い(数々の勘違いも含め)、次なる「わかった!」で上書きされていくことの繰り返しの日々・・・。
生徒さんの前に立つ指導員として、変わり続ける今の感覚を言葉で伝えるのは本当に難しいことだと感じています。それでも、この道を歩み続けることによって新しい自分と出会う喜び、 そして感じ方やものの見方が深まっていく感動を生徒さんたちと分かち合えることは、私にとって大きな喜びです。

 これからも、音楽と無極静功、両方の世界にまたがるであろう美しく壮大な景色をはっきりと眺められる日が来ることを夢見て、 ひとつひとつの動作と自分の内面に向き合いながら一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。
西祐美さん 朝陽を浴びて托天昇陽法





「太極拳は武術です」

横浜小机教室・中級Ⅱ太極拳教室
萩原 澄子

萩原澄子さん

 今から7年程前、明大前に本部教室があった頃、太極24式の研修会が開かれました。
始まってすぐだったと思います。薛先生は「太極拳では、女性でも大きな男の人にも勝つことが出来るのですヨ」と、ニコニコしながら仰いました。 私は目を見張り、「絶対無理!」と心の中で叫んでいました。それに対して誰も質問することなく、疑問を残したまま講義は始まってしまいました。
「太極拳は相手のある武術です。バランスが大切で、動作は腰を中心にした円運動」と教わりました。「套路は、一つ一つが相手に対する攻防の形になっています」
しかしどう考えても、その緩やかな動きから、薛先生の仰る「大きな男の人にも勝てますヨ」と結びつかないまま、練習は続けていました。

 それでも108式まで進み、ようやく順序も覚え、練習が楽しくなっていました。
薦められるまま、迷いながらも、今回、昇段試験を受けることにしたのです。
が、「太極拳は武術?」も未解決、理論の自信もなく悩んでいる私に、飯塚先生が「銭 育才さんの〚太極拳の要諦〛を読んでみたら」と薦めてくださいました。 理論研修会で薛先生も教材としてお使いになったとお聞きしました。

 この本を読んで、目から鱗が落ちる気がしました。特に「武術」についての説明です。
私は「武」や「武術」という漢字の深い意味を知らないで、思い違いしていたことに気づかされました。
「武」の漢字から、文武、武運、武官などの勇ましい言葉を、「武術」からは、剣道、柔道、相撲のような相手を打ち負かすための手段だと思っていました。 ところが、中国の学者たちの研究によれば、「武」は漢字の構成法の原則に基づいて作られた漢字で、止という字と干戈(かんか)の戈(か)という字と組み合わせからなっていて、止はやめる、干戈は盾と矛の意味。「武」の本来の意味は、武器を納める、干戈、戦いを止めることと書かれていました。武術の根本理念は、他人や他国を攻めることでなく自身や自国を護ることだったのです。もし攻められたら、その最初の攻撃を無力化して、自分を守り、相手に攻撃を諦めさせ、平和な環境に変える、尚且つ、友好状態に転化させことが、元々の主旨でした。私の思い込みと正反対の意味だったのです。
 そしてまた、太極拳の根本理念を「捨己従人」の4文字で纏めていました。
太極拳はできるだけ自分自身の安静を保ちながら、相手の力を感じ、その攻撃を無力にし、自分に有利にさせるとありました。 「捨己従人」といっても、ただ相手に「従う」のではなく、自身の先入観や方針を立てないで(捨て)、相手の動きに逆らわないように、瞬時に動作を決めていく(従う)ことが、 太極拳の総括だと書いてありました。

 私には、武術的な経験は殆どありません。初参加した合宿でも、推手では「腰を回して」、「力を抜いて」と言われました。 しかし相手と接すると体はますます固くなり、受け入れるどころか恐怖感が先に立って、全然駄目だったことを思い出します。
「太極拳」を私なりに具体的にわかるのにはどうすればよいのか?考えました。
そして何度も教えていただいた、根本にある、太極拳と気功の深い関わりを注視していなかったことに気づきました。 なぜ緩やかな動作なのか、心静かに行わなければいけないのか、根本的にわかっていなかったのです。 太極拳は、ゆっくり行うことで、姿勢や動作が正しくなり、精神状態も安定して、バランスのよい流れになる。 それが経絡のツボを刺激し、気のパワーと筋肉の力の複合体である勁を強める効果につながるのだと、初めて分かったような気がしました。
「大きな男の人にも勝つことができる?」という疑問、「太極拳は武術です」という薛先生の教えが、やっと納得できました。
 頭と心では分かりましたが、試験は目の前に迫っていました。教室で套路の細かいところも指摘されましたが、実際は一夜漬けのようなものでした。 案の定、審査は散々で、頭の中が真っ白になって、ただ立ち尽くす結果になってしまいました。終わった直後は、自己嫌悪に陥りました。 が、時間が経ち、落ち着いて見つめなおすと、あんなに素晴らしい時間はなかった、かつてあれほど緊張したことも、真剣に取り組んだこともなかったことに気づきました。 たぶん、銭 育才さんの本を読む機会もなかったと思います。

萩原澄子さん

 今は無謀なチャレンジが、結果的には宝物のような素晴らしい機会に巡り合えたと、この幸運に感謝しています。
 これからは薛先生の講評にありましたように、細かい部分の動作の修正を課題に、気功の収心定意を、基本に立ち返って練功し直していこうと思っています。 同時に、とても苦手なことですが、武術的素養として、推手や用法にもいつかはチャレンジしていかなくてはならないかなと思うようになりました。

 最後に、薛先生始め、諸先生方へ、こんな鈍感な私を辛抱強くお導き下さっていることに、感謝申し上げます。







会報26号の目次

会報25号


ホーム

連絡先

Copyright (C) 2000 無極静功日本 All rights reserved
( WUJIJINGGONG JAPAN )
info@taiji-wuji.org