本部土曜日 初級教室
浅岡 伸之
私が無極静功とであったのは、母親(昌)が亡くなった直後の当時69歳の父親(治郎)が見るからに、元気がなくなってしまった事がきっかけでした。
父親は母の死後、最期を看取った市民病院に近づく事さえ嫌がる状態で、いまだ、母の死を完全に受け入れられていないようでした。
息子としてこれは、なんとか元気づける方法はなにかないか漠然と考えていた時、ふと自分も興味を少し持っていた気功を一緒にやってみたらどうだろうかと思いつきました。
そしていくつか調べて、私の仕事の関係で月に1回か2回程度でしたが、父親と通い始めたのが、無極静功を豊橋で教えられていた鈴木先生の教室でした。
鈴木先生は元々少林寺拳法をやられていて、そちらの方でも、師範のような腕前だとどなたかに聞いた事があります。
- 気功と治郎さん -
豊橋へ通い始めた頃の印象は、畳の上で習い事をする新鮮さみたいなものと、仕事を離れた非日常的な静寂を感じられて、いいものだなあという印象でした。
治郎さんも、息子と行動をともにして、帰りに二人で飲んで帰るパターンにも気を良くしていて、(二人が気功のおかげと気付かないうちに)ほどなく元気になりました。
これは、気功のおかげだと思える現象とか、身体の変化が起きたのは、習いはじめて1年くらいでしょうか、確かにありました。
当時テニスに凝っていて、ほとんどの日曜は治郎さんも私もテニスをしてましたが、私はその(豊橋教室へ行った)翌日は、朝から気持ちがよくて、サーブやショットが、よく決まったように思います。
治郎さんも、ほとんどホームランが多かったんですが、その翌日には若い人でも返せないような速い球が時々入ったりして本人も豊橋行った次の日は調子が良いと言ってました。
豊橋教室に通いだした変化の極め付けは、(元々若いとき柔道やってたので畳ですれて)ツルツルだった治郎さんの両スネです。
二人でびっくりしたんですが、なんとスネ毛が生えてきました、、、。
- 站とう功一筋 -
治郎さんは、ある日鈴木先生に站とう功の立ち姿を少しほめられました。
その後も、12法や24式を一人でやれるようなレベルには全く至らずでしたが、気を良くした治郎さんは家でも站とう功だけは時々やっているようでした。
私は当時、治郎さんは、まだ、24式なんかも、全然できてないのに、なんで毛がはえたんだろう?(なんで効果があったんだろう?)という漠然とした疑問を持っていました。
その後東京に来てからですが、呂継唐先生が最初は寝ながらの側臥式だけをやられていたというのをお聞きした時にはびっくりしました。
同時に、治郎さんのケースにもあるように、無極静功って、24式、108式、行法を一通り出来るようになって初めて完成するとかというものでなく、
一つ一つの技が、あるいは一コマ一コマが先人の知恵と思いが詰まって完成されている、金太郎飴のようなものでは無いかと、やはり漠然と思うようになりました。
おかげ様で、今ではそれは当然の事のように'理解'できるようになりました(実践的に一コマ一コマに思いを馳せて、丁寧に練功する事は、いまでも、とても難しくできていませんが)。
- 薛先生に初めてお会いする -
豊橋の時に、念願の薛先生にお会い出来る機会もありました。
(記憶では)薄いブルーのワイシャツが爽やかで初対面なのに、なにか柔らかい気持ちにさせて頂いた印象があり、私も父親も、お会いできて、凄く喜びました。
鈴木先生のお招きで、豊橋に来て頂き、お話と行法と12法を少し一緒にやって頂きました。
会場には、50人近くいらっしゃったように覚えていますが、壇上がチョット40センチくらい高い安定の悪い長い台の上にありました。
行法をするときに、全員によく見えるようにと言うご配慮もあったと思いますが、少しびっくりしたのが、不安定なんでそこではやらないと思ったんですが、
先生は、その壇上を真横に横切ってやられました。
横から見てるとギシギシ音をだしながら、歩くたびに先生の重みで凹んでる感じにみえました。それを先生は全く意に介せず平然と、環境の良い板の間でやってるようにされているのに、
びっくりした記憶があります。
大袈裟にいうと、綱渡りのたわんでいるロープを歩いている感じに見えました。
この先生の状態を無極静功を学んでいる私は、今は色んな言葉で推測できると思うのですが、私的には、'環境を選ばない' というか、'環境(自然)と一体になる' というか、
その気になればどこでも、平常心、リラックスする事が大事と教えて頂いたような気がします。
練習で靴やつるぎを忘れた時、でこぼこの地面の上で練習するとき、果ては仕事で資料を忘れた時、大事な商談や大きなプレゼンテーション、スポーツでアドレナリンがあがるシーン、
さまざまな局面で、すでに、知らず識らずの内に無極静功を長年やっていたおかげで、助けられた事が沢山あったように思います。
今後もあらゆる環境やシーンにとけこんで、一体化してリラックスを心がけていきたいとおもいます。
- 転勤 -
大望の薛先生にもお会いできて、無極静功豊橋への通いも親子で日常になり、落ち着いてきたころ、豊橋に行き始めて、一年半くらいでしょうか、突然私の名古屋から大阪への転勤が決まってしまいました。
最初のうちは、大阪から東京への出張の折に、豊橋に途中下車して参加するようにしていました。
しかし、やはり仕事がかなり忙しくなってきて通うのが厳しくなってしまい、私の太極拳人生にとっては、(その大阪のあと東京へまた転勤することになるのですが)5年ほどのブランクとなりました。
治郎さんとしては残念ながら '気功教室との短いお付き合い' となってしまいました。
救いは、治郎さんは、その後も、体調が悪い時など、唯一覚えていた站とう功を少しやってくれていたようです。
86歳で他界しましたが、なくなる二、三年前、どこか痛むような症状の時、站とう功をやると「少し収まる、落ち着く」とか言ってましたので、
私より数段、気功の効果効能を認識して、自分の中に取り入れていたんではないかと思います。
- 最近のテーマ・推手を楽しみたい、相手を楽しませたい -
教室で以前、薛先生から、もっと楽しんでやりましょう!顔がこわばってます、真面目ですね!と言われたことを記憶しています。
そんなご指導につけて少し思うことですが、自分の中で例えば推手を"ゲーム感覚"で捉えると楽しいのではないかと思ったりしています。
勝ち負けはつかないが、相手のエネルギーを、もらったり探したり返したりして、相手を気持ちよくさせたら勝ち(一体感)みたいなルール。
突き詰めていくと筋書きのない社交ダンスみたいになってしまいそうですが、そういうレベルこそが(私の空想ですが)かなり太極拳的にも進化した上達した状態と言えるのではないかと
想像しています。
思えば薛先生に推手活法を実演していただいた時、こちらが攻めると、先生はそれを柔らかく受けられるのですが、その後気がつくと社交ダンスのように一緒の方向にいつのまにか先生と仲良く向かっているんですね。
時には一緒に同じタイミングで先生と一緒にジャンプしてる自分がいて可笑しいんですね。
見た目には肩を組んでる仲良しダンサーのようになってます。
先生との一体感もありますししかも何故か楽しいし、これってダンスだなって思ったことがあります。
私の人生でハッピーな事の一つは先生に何回も、(技の説明の時に)練習台で、数え切れないほど回されてきたことです(笑)。いつも、回されてる時って、不思議に楽しい気持ちになってます。
相手が楽しい気持ちになるくらい相手にとって自然で無理のない状態になっているという事だと思いますが、つくづく無極静功の奥の深さ(自由な発想)と自然さを感じます。
ダンスとの違いは、相手が最初から友好的でなく、協力的でなく、むしろ懐疑的、ときには攻撃的な場合があるというところで、
ダンスよりも面白くて難しいのはその挑戦的懐疑的なエネルギーを自分の味方につけて友好的協力的なエネルギーにして自分でコントロール(無力化)していけるかというところでしょうか?
時には、相手のエネルギーが見えない、伝わってこない忍者のような方には、自分のエネルギーをどう使っていただけるのか、観察するのも楽しいかもしれません。
言葉では偉そうに書いてみましたが、感覚的に実践的にそういう状態になるには、まだまだ何十年もかかりそうです。
ただ、ゲームのように、ダンスのように楽しむことができたら、少なくとも、それはリラックスしているし、気持ちは落ち着いているだろうし、‘本来の自分に近いもの’ をだす
前提条件になっているのではないかと思います。
薛先生もやはり、推手の時などニコニコされてる印象の方が多いですし、顔が面白すぎ!とよく言われる千葉の大先輩もそういう印象です。
太極拳の基本的な教えに「相手の力と衝突しない、変化させる」というのがありますが、これはフィジカルな面ばかりでなく、心や気持ちについても
「相手と衝突しない、変化させる」ということが言えるのではないかと思わされます。
自分が楽しむ(自分をリラックスさせて平常時のようにまとまる)また相手を楽しませる(相手もリラックスさせ警戒させないで一体化する)というのは、
先人が残した言葉や一流アスリートとも共通点があるような気がします。
① 塩田剛三 合気道の達人 昭和の達人と呼ばれた。最終的にどういう境地が目標ですか?という質問に答えて
「そうだなああ、俺を殺しにきた奴と、友達になれたら良いなあ😄」
② 時代小説にでてくる忍者の修行の中で、窮地に立たされたら
"ふふふっ😄"と笑う練習があるそうです。
③ 前田慶次 歌舞く(かぶく)という言葉の先駆けの歴史上の人物
自分を暗殺にきた人間をみな子分にしてる😁
④ アスリートのテニスの大阪なおみさんや卓球の伊藤みまさんが、今年の春ころからか負けて切羽詰まった時に、ニコニコ😁し出したのを見た気がします
(これは、そう見えただけかもしれませんが、戦略的に②を取り入れたのではないかとも想像しました)
他にも五輪の書とか偉人、達人の言葉などを拾い読みするのが好きなんですが、太極拳の一コマ一コマ、切り取った部分、表現とかが同じ感じ、同じニュアンスの時がよくある気がします。
太極拳は、偉人、達人の境地も包含しているのではないかとか勝手に想像したり解釈したりしては楽しんでいます。
現在私は67歳になりますが、なんとかこれまでは健康で元気な毎日を送らせて頂いています。
これも無極静功に出会える事ができ、途切れ途切れでも継続する事ができたからだと思っています。
人生なにか一本軸を持つと人間強いと良くいわれますが、今になって思うと、'天のお導き'(天国の治郎さん、昌さん)で始めた無極静功が、
(何年もやっている割には形も悪く成長も遅い、本当にお恥ずかしい状態ですが、それでも)とても大きな私の心や身体の支えというかエンジンのようなものになってきました。
あらためて、こんな素晴らしいものを日本に持ってきていただき、直々に、丁寧に、楽しく、いまなおご指導頂いている薛先生と日頃楽しく優しく教えて頂いている
指導員、諸先輩、ご同輩の皆さまと(導いてくれた)両親に感謝したいと思います。
そして、これからも私は、私にとって唯一無二の無極静功太極拳を '楽しんで' いきたいと思います。
【コメント】
いつも明るく精力的にいろいろな教室を参加している浅岡さんは本当に楽しんでやっていらっしゃいますね。
文章だけでなく二枚の写真もとても素敵です。
エネルギッシュな浅岡さんはいつかお仲間と輪を作り,一緒に無極静功を楽しむことになれば自然の流れかなと、私も楽しみにしております。
薛 永斌
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