会報
会報第30号———2021年3月1日発行


交流活動


「今は静立養気法」

鈴木 喜久子

「鬆 静 自然」

龍野 幸夫


交流活動

オンライン研修会

 2020年10月18日(日) と 2021年1月31日(日)の2回に分けて「禅x21世紀」研修会がオンラインで行われました。

「今は静立養気法」

イオンカルチャーユーカリが丘教室
鈴木 喜久子


鈴木喜久子さん

出会いは

ノンフィクション作家柳原和子さんを紹介するテレビ番組でした。彼女は中指を向い合せた両手を胸からお腹へ下ろし、それを繰り返しながら森を歩き、樹林気功と紹介されました。 彼女ががん治療のあり方を問い続け、より良い治療法を探す姿をマスコミが取り上げていた頃です。 当時私は一つ病気が見つかり、不眠と動悸に悩まされていたので、気功について何一つ知識がないまま、すぐに「気功」と検索して「NHKカルチャーユーカリが丘教室」に通い始めました。 まず不眠が解決し、そして暫くすると、キッチンに立つ体が緩んでいる事に気が付きました。私の膝はいつもピシッと伸び、肩にはぎゅっと力がはいっていたのに。

なぜなぜ?


「貴女はアリの国までも見たいのでしょ!」と言われる程の知りたがり屋です。それに加えて私の気功は「まずは頭で考えてから」だったので、インターネットや本で情報を集めていました。 そうした中、数年前の集中講座で、「気功が体にいいメカニズムは?」という、ある方の質問に対しての薛先生のお答えは、
①まず腰。体全体バランスの取れた形で動く。必ず腰から、腰を使って、腰中心で。
体全体が繋がり全てが動き連動する。背筋が綺麗に立ち、姿勢が良くなり内面が活発になる体の理想の形。前よりも伸び伸びしたいい姿勢になる。
②そして丹田。顎を収め鼻先は臍へ。内面のエネルギーがまとまって全身が繋がる。内面と外部が一体になっていい感じで動く。自然で充実して気持ちいい。
この二点でした。おお!シンプル。そしてもう一つ
③地面との関係が加わると、薛先生が『養生気功法』にお書きになり、研修会でご教授下さる内容です。段級位審査では何度か理論試験に出題され、解答用紙と格闘したんだっけ。

『前より合理的でいい形と動き、内面と一緒に動く心地良さ』おお!シンプル。自律神経がどうしてこうして交感神経に副交感神経、毛細血管……。それらは後の話でした。
 私のなぜなぜ収集はこの日解決しました。今「アリの国まで…」は気功への興味の延長で、座禅、身体感覚へとアンテナが伸び、私の世界が広がっています。

静立養気法が
“今”一番好きな功法です。踵をつけてピンから膝を緩め、尾てい骨を踵へ、同時に膝を足の親指に。私の場合は尾てい骨を踵にと思った時、腰から背筋へ伸びたい気配を感じるタイミングがあるので、 それに乗っかって腰から背筋首筋百会とイメージする。百会についたゴムひもにほんの小さな力で引っぱられる意識を持つと、首筋から後頭部が伸びて顎が自然に喉の方へ、 その気配に乗っかって顎を収めると鼻先は臍へ気持ちは丹田へと自然に進む。その頃には自然に視線が下がり半眼になり、意識の半分は体の内側を見ている。 半眼でまぶたが緩むと体も緩む。私は歯を食いしばる癖があるので、ここは意識して顎も含めて口全体をふわっと緩める。するともう一段体のリラックスが進んで、 肩の力が抜け腕の重さが感じられ手先から足の裏にすーっとつながる。腕の重さに気付くと緊張気味だった胸もほわっとひろがる。 私は重心が踵に行き易く、30代に左膝じん帯を痛めた為左右のバランスが悪いので、足平はしっかり確認する。後は重力と同じ方向に体重を乗せる。 というか、百会が引っ張られる意識を持つと、同時にぶら下がる感じがし、その感じに合わせて体重を地球に任せる。1メートル奥へ、さらに地心へと進む。 と言う具合に、形のポイントを順番に辿っていくと、それと同時進行で自然に意識が調う。その後は何もしない。 『くつろぐことができるのはあえて消極的でいること』と藤田一照さんの本で読んだ事があるが、頑張らないで丁寧に観察し情報を集めただ立つ。 最初は揺れる。揺れて揺れてやがてある程度落ち着く。体の部分部分が一つに纏まり、呼吸が安定している事に気付く。静かで楽で私と私の周りに心地良さがある。

『楽に綺麗に自然に立つ』
 薛先生がおっしゃるこの言葉が目標だ。静立養気法はキッチン通路で充分できる。朝起きたらお湯と麦茶を沸かし、洗濯機を回し、お湯一杯を飲み、そして立つ。 主婦は本格的に家事を始めたらもう止まらないから、その前にやらないと。今はラジオ体操のスピードにはついていけない。 試しに六時半からのラジオに合わせてやってみて下さい。私は横っ腹と首の筋を傷めた。寝る前にちょっと立つのもいい。毎日の生活の中に静立養気法がある。 大袈裟に言えば、手を上げるのも億劫な時でもできる。シンプルで全てが揃った素晴らしい功法だと思う。

静立養気法

『六十にして、六十化す』
 学生時代ははっきりした答えの出る数学が好きで、気功でも数値に拘ってきた。取り扱い説明書をしっかり読み込んでから動き出す、そういうタイプだ。 それが今、気功に関しては数値で表せない身体感覚が楽しい。その道筋を観察するのも面白い。身体感覚を楽しみながら、私の中の自然が本領発揮しパワーアップしたらいい。 今この文章を書いているのは冬、春の陽気になったら違った功法を好きになるかもしれない。季節による変化、加齢による変化、変化を味わいながら『あちら』によいこらしょっ!と行きたい。
※勿論六十はとうに超えています

ここまではほぼ2019年12月に作成した文章です。
新型コロナウイルス感染症拡大の状況で、
「コロナウイルス感染状況は予想以上に広がっており、文章にはコロナウイルス感染の対応に関する内容、困難に直面して現実的しかも積極的な対応を補充した方がよいのではと思いました」 と薛先生よりメールを頂きました。
 大変な課題を頂きました。当時私は完全に立ち止っていたからです。暫く待てば元の生活に戻れると思っていました。 一人で練功し、指導員の方々の公開動画に刺激を受けて、早朝の庭で太極拳をやり、時にはオンラインで坐禅をし、一人でなかなかいい時間を過ごしていました。

いやぁ、これは長期戦になる。と分かってから考えた事
 地元の『健康教室 気功と太極拳』は、近所の方に健康養生法として気功と太極拳を紹介したい、そしてここが交流の場になったらと考えて始めたばかりでした。 教室は狭いし、お客様商売の生徒さんがいるので、迷いなく3月から無期限中止にしました。 夏が終わる頃には、確実に皆運動不足だし、近所の人とろくに立ち話もしていない。毎日のニュースに緊張し上実下虚の状態。体は勿論、心も不安定な今こそ気功と太極拳が必要なんだよなぁ。
 『カレンダーガールズ』では主婦たちが丘の上で、『ノッティングヒルの恋人』では背景で、『マイインターン』ではロバート・デ・ニーロが公園で太極拳をやっています。 そんな感じで、“公園太極拳”を始めるいい機会が来た、と思いました。生徒さんに連絡して、近くの公園で太極拳と行歩法を始めました。 ほんの30分ですが、体をほぐすことから始めて、細かいポイントではなく「大きくのびやかにやりましょう」と声をかけています。

感染拡大の中、感染対策に気を配りながらの教室再開、或いはオンライン研修会開催など、その積極的な取り組みに尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。

最後になりましたが、
薛先生、指導員の方々、お仲間に一生の宝物を頂いています。
皆様に心より感謝を申し上げます。

「鬆 静 自然」

横浜教室
龍野 幸夫


龍野幸夫さん

 1996年10月無極静功との出会いは龍野和子さんとの何気ない会話がきっかけでした。 高齢になっても続けられる体に良い何かを探していた頃、気功、太極拳について何の知識もないままお話を伺い後日教室を見学させて頂きました。 そして「このゆっくりした動きなら丁度良い。」という程度の軽い気持ちで家から一番近い横浜教室に通うことにしました。
 あれからあっという間の24年。このように長く続けることができ、しかも指導する立場にまでなれたのも薛先生を初め諸先輩の皆様、 ご縁を頂いた皆様、一緒に練功を重ねた仲間達、そして熱心な生徒さん達のお蔭です。皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。
 習い始めの頃は站樁功でただ立つことさえ難しく、三円式では1分もしないで腕が重くなり体がむずむずして早く次の動作に移らないかなと思う有様でした。 しかし最近では長時間気持ちよく立っていられるようになり自分なりに進歩出来たと感じています。とは言え、練功が進めば進むほど自分の中での問題は増えてくるばかりです。 知識として得た内容を陰陽の理に適った動きとして出来ているだろうか? 迷いは深くなるばかりで気功・太極拳の奥の深さをしみじみ実感しています。


 気功関係の本を開くといずれも練功要領の第一に鬆静自然が出てきます。或る日の站樁功の練功から松静自然について考えてみたいと思います。

 東の空が茜色に染まる頃、黄色い枯葉が舞いはじめた公園での練功。無極式或は自然樁と呼ばれる両腕を体側に垂らした站樁功で立つ。 いつもの通り下から順に形を確認して身体を整え、呼吸を整え、意識を軽く丹田に置き、全身をゆるめて立つ。 頭の中には様々な光景が去来するがそれも次第に収まり全身が温かい空気に包まれて静かな時間が流れる。

 暫くしてふと悪い癖に気が付いた。私には以前から首が前に出て頭が垂れるという癖があった。太極拳を習い始めた頃手や足の動きを確認しながら練功したなごりかもしれない。 首筋を立てて、喉を隠すように顎を引き、百会をすこし後ろ上方へ引き上げて、首を伸ばしてからゆるめるとストンと納まった。それと同時に体の中にドミノが起こった、ように感じた。
 ドミノは足の裏から始まった。足裏の踵、親指、小指に注意が向けられ足平となり、腰が改めて少し沈んで腰と背が真っすぐに伸びる。 クワが入り、尾閭が内斂、会陰が引き上げられ襠部が開いて円襠。胸が膨らみ肩井は踵に落ちる。腋の下に空間が出来て両腕は少し広がり弓型に。 これらの感覚が電撃のように足底から身体を通って百会へ走り抜け、再び静かな時間に戻った。

 体内に不思議な感覚が訪れたのはそれからしばらく経ってからであった。体全体が硬くなり動けないように感じてきた。 まるで張り子になったように、体の表面はピーナッツの殻のような固くて柔らかい膜で覆われているが、中身はがらんどうで何もない。
 優しく顔をなでる風が心地よく、一呼吸ごとに体の隅々まで行き渡るよう。木漏れ日を受けた草花はキラキラ光り風になびいて一斉に手を振っているように見える。 今まで気が付かなった虫の声や鳥の鳴き声、遠くを走る電車の音、更にはるか彼方から聞こえる飛行機の音もがらんどうになった体内に響いてはっきりと聞こえる。 呼吸は深くゆっくりとなり、頭に去来する雑念も減り実に気持ちの良い空間にいるという感じであった。


鬆静自然
 鬆は放鬆、身体の緊張を解いてリラックスすることだが、ゆるむけれどもたるむことなく緊張とのバランスが必要と言われます。
 ある時何人かの方から、「龍野さんの套路変わったね。」「柔らかくなった。」と言われたことがあります。それはちょうど放鬆を強く意識して練功を続けた頃でした。 それまでは正しい形を意識するあまり手指に注意が集中し、身体全体が緊張して硬くなっていました。 ある時上虚下実が出来ていないことに気づき、上半身の力を抜いて、全ての動きは丹田から、その原動力は足から、動きは腰でコントロールするという事を意識するようにしました。 形では特に足平と円襠を意識しました。日常生活でも信号待ちやホームに立つ時などわずかな時間でも足平と円襠の感覚を確認するように立ちました。 套路では両脚が必ず虚実に分かれますが、虚腿の襠部を開いて円襠がつぶれないように意識することによって上虚下実が保たれ、 ゆるんだ上半身は自由に開放されて柔らかな動きに繋がったように感じます。 しかし、それはまだ頭で理解した動きであり用意不用力と言われるような内からの自然な動きとは程遠いものだと感じています。 これからの練功によって自分の動きがどう変わってゆくか自分自身でも楽しみです。

 静は雑念を無くし入静状態に入ること。私の場合は、先ず意守丹田により気持ちを整えます。その後呼吸に意識を向け、一呼吸一呼吸に注意を向けて静が熟成して深まるのを待ちます。 静が深くなると五感が敏感になりよりはっきりと覚醒するように感じます。そして静が深まれば鬆も深くなり、鬆が深まれば静も深まる。鬆と静がお互いに働きかけながら深まってゆくのを待ちます。 しかし実際にはこの日の站樁功のような深い静にいつも入れるわけではありません。

 自然とは作為的でないこと。無極静功には24の形のポイント、五対、三弓、六要訣など多くの要求があり私達はこれらを指針として練功を積んでいます。 しかしこれらを強く意識すれば自然では無くなってしまいます。また一方では作為を無くして自然でありなさいと言う。 そこで必要なのは頑張らない、無理をしない、ある程度いいかげんにやる、そして内なる感覚を大切にすることだと思います。 本に書いてあるから或は以前先生に直された形だから、などというこだわりや思い込みをはずして内から湧き出る感覚に随う時自然になれるのではないでしょうか。 そして自然体で立つことが出来れば身体は自ずと正しい形を形成するのではないでしょうか。もしそうであるならば、練功に要求される形は目標であると同時に結果でもあると言えるわけです。
 気功とは自らその生を養うために、自身の心の内にあるこだわりや思い込みというブレーキを外す訓練であり、その先に待っているのは命の質の変化ではないか、と私には思えるのです。

 そこへ向かって少しでも進むにはどうすれば良いでしょうか?その答えの一つは宮本武蔵の五輪書にありました。
    千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
    能々吟味有るべきもの也。
これには武蔵らしい多少ストイックな響きを感じます。そこでもう一つの答え、孔子の次の言葉にも耳を傾けたいと思います。
    これを知る者はこれを好む者に如かず。
    これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

気功・太極拳をいつまでも楽しんで続けたいと願っています。

初動負荷トレーニング®
<初動負荷トレーニング®>
       

With/After コロナ

 新型コロナ感染の影響が世界的な広がりを見せて、私達の生活にも大きな影を落としています。
 コロナの影響で残念なことは、気功・太極拳の教室を休まざるを得ないことです。 このように長い期間休むのは初めての事ですので、生徒さん達のモチベーションが下がらないか心配しています。
 また、写真にある「初動負荷トレーニング®」は単なる筋トレとは異なり、トップアスリートから高齢者や障害者のリハビリにも効果があるトレーニングで、 家族で週1~2回通っていましたが1年近くお休みを強いられています。

 しかし、悪いことばかりではありません。気功・太極拳を学ぶ私達は世の中がすべて陰陽の関係で成り立っていることを知っています。  今まであまり考えなかった事を考えて新たな気付きがあったり、新しいことにチャレンジする機会を得たり、人との繋がりが以前より強くなったり、という良い面もありました。
 例えば、研修②ではZoomを使って対面で集まる場とは一味違う研修会を楽しんでいます。 また、新しい試みとして企画された「禅x21世紀」研修会では On Lineを利用した新たな研修会や交流の可能性を感じました。
私事においても、遠く離れた兄弟たちとZoomミーティングを開くことによって、以前よりずっと顔を合わせる機会が多くなりました。

 コロナ禍の中で改めて感じたことは、世界は繋がっているということです。
コロナの感染自体は個人の問題ではありますが、同時に周りの人々、地域の人達、更には世界の状況にまで直結しているということを改めて実感できました。
 ノーベル平和賞を受賞した国際世界食糧計画(WFP)の日本事務所代表である焼家直絵さんは『誰かのために行ったことは、ひいては自分をも豊かにすることに繋がる。』と言います。

 いつ収束するかも知れないコロナ禍ですが、Afterコロナの世界はどんな姿になるのでしょうか?
国際コミュニオン学会名誉会長、シスターで文学博士でもある鈴木秀子さんは、小林一茶の句になぞらえてAfterコロナの世界に思いを馳せています。

    雪とけて村一ぱいの子ども哉

『この句から私がイメージするのは、コロナ禍が収束し皆が笑顔で生き生きと働きだす社会です。 しかもその社会は以前とは大きく異なり、一人ひとりの中にコロナ禍で培った人生を豊かにする様々な知恵が備わっています。』

 コロナ感染の充分な防止は勿論重要ですが、自粛生活を嘆くばかりでなく、この状況を有難いとポジティブに捉えてコロナが収束するその時を待ちたいと思います。

以上


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