しかし、太極二十四式を練功する時は、動作に流れがあるため形が刻々と変わり、形の調整のほうに重きをおいてしまいがちで、意識の調整が足りなくなり、形と体の内部が合わない感じがしていた。 そこで、意識を内面に向け、合っていないと感じた時は、足りない所に意識をおくことを心掛けた。 具体的にいうと、単鞭では両手をお腹の前から頭の上へ回転させる時、手が下から上へ伸びていく時、意識も全部、形と一緒に上へ行ってしまうと、体が浮いて不安定になってしまうが、その時意識を足の裏におくと、上下のバランスがとれ体が安定する。 十字単鞭でいえば、前への動作であるので前足に体重がかかり、体を安定させるため前足で頑張っていたのを、後足のほうに意識をおいてみる。すると前後のバランスがとれ、体が安定し楽になる。 |
つまり、常に動作の反対側、上といえば下、前といえば後、左といえば右を忘れないように意をおくことにより、バランスがとれ体が楽になる。なお一つの動作をするとき、例えば上への動きが主であっても、意は下へだけではなく、前後左右にも配らなければ全体のバランスはとれない。 意識によってからだの内部が動き、形も変わり、バランスのとれた無理のない形になれば、楽な感じが出てくる。それは自分の体にあったものである。 だから全面的な調整は意にあるといえる。 この事が武禹襄の上記の文の意味する事であると思う。 1998.11.26 |